2008年8月9日土曜日

持たない暮らし



いかにモノを持たないか、いかにシンプルに暮らせるか。
それは自分のテーマだったりするのですが、この本を読んでみて、さらに深く考えを整理することができました。気づきは、ただ捨てるだけではなく、大事にモノを使うこと。

--memo--

日本の家は自然素材を使い、縁側や障子で自然を取り入れてきた。外国の家は自然と闘い、遮断して家の中に心地よい空間を作る。
花見、月見、紅葉狩り。四季ともに生きる日本の文化は、茶室や医師だけの庭のように無駄なものをすべて取り払った質素な美を追い求めてきた。外来の文化が入るようになって飾り立てることが好きになったが、ほんとうに美しいものは、さりげない。さりげなく自然に、これほど難しいものはない。

旅人はモノに縛られない。重い荷物をもっていては旅ができない。最小限の必要なものだけもって旅を続ける。シンプルにならざるを得ないわけだ。

モノがありすぎると、知恵が減退する。これでもかとモノの洪水が押し寄せてきて、引き受けるのに精いっぱい。知恵が入り込む余地がない。モノがないから大切に修理して使う。使えなくなるまでモノの命を使いきってやる。

気が付いていみたら、心も文化も貧しくなって、モノに支配される暮らしに。その状態をひきずったまま21世紀にはいってしまったが、このへんで大切なモノだけに絞りたい。モノからの解放は心の解放だ。自由に人間らしくモノへの強迫観念からのがれて暮らす。

モノからの解放とは、心を自由にさせること。ものにこだわらず、支配されず、心を大切にして生きること。というと、わたしたちは短絡的に「モノを捨てればいいのだ」と考えがちだ。いらないものを捨ててすっきりする。捨てられていくモノは私たちの欲望を満たし、貧しい心を温めてくれたモノたちだ。それを簡単にすてるということは、欲しくなったらまた買って、また捨てるということである。「シンプルに暮らす」とはモノからの解放ではあるけれど、「モノを捨てること」ではない。捨てることでどのくらいのゴミをふやしてきたか。

「シンプルに暮らす」とは、モノを捨てることではなくて「モノを大切にすること」だ。最初はモノを捨てることばかり考えていた。しかし、それでは解決しない。いきついたのは、モノを大切にし、モノの命を使いきることだ。モノを簡単に「捨てろ」ということは、モノを大切にしないこと。「消費」という2文字に組み込まれて、シンプルな暮らしに近づくことはできない。

なぜブランド品あさりをふるのか。自分の暮らしに自分なりのスタイルがないからである。自分なりにこれは必要、不必要と考えていけば、決して人まねはしないはずだ。持たない暮らしは人まねではできない。自分のライフスタイルをつくりあげることからできてくる。

「シンプル」と「節約」は違う。節約はきりつめて生活するもの。持たない暮らしとは、自ら選んで生活をシンプルにすること。

贅沢な時間を取り戻すこと。それは豪華な館で好きなものを着て食べて暮らすことではない。時の流れに身を横たえ、逆らわずに生きること。「贅沢」と「シンプル」とは、相反することのように思えるが、実は、シンプルな暮らしの中からこそ、心の贅沢が得られるのだと思う。

モノが多いのは使わないものをしまってあるからだ。しまわずに、使う。いいもの、好きなものを使えば、しまうものはなく、自然にモノは減っていく。いいものの中で暮らせば、心も豊かになる。

好きなものほど、目のつくとことに置きたい。そして使ってやる。高価なもの、珍しいものだから傷ついたりすると恐れてはいけない。一度も使わず、日の目をみないよりも、多くの人に愛でられ、使われることこそ、モノは喜ぶ。使うからには、汚れることも、傷つくことも覚悟せねばならない。それでも使うことが、モノの命を大切にすることだと思う。

食におけるシンプルとは何かと言われたら、自然のものを食べることだと考える。それが健康にもつながってくる。作り手の顔の見えるものを食べるようにする。

ファーストフードが大流行している。人気の秘密は、手間もかからず時間もかからず、省いた時間をたぶん有効にほかに費やそうということなのだろう。しかし、生み出した時間を私たちは何に使っただろう。効率化し、便利になれば趣味や文化的なことに時間が費やせるとおもっていた。しかし、そこで生み出したものは何だったのか。手のかかる職人芸、わたしたちが長い年月をかけて生み出したものまで無くして、結局はユニクロ、コンビニというお手軽な文化しか生み出していない。

結局わたしたちは、機械によって効率化し、生み出した時間を無駄にしている。かつての暮らしのほうが、一筋に生命をかけるシンプルな生き方があったのではないか。新幹線ができ、飛行機が世界をつなぎ、私たちの暮らしは豊かになっただろうか。今は出張しても、ほとんど日帰りできる。かつては泊まって、その土地の風物をみる余裕もあったが、いまは仕事だけして帰ってくる。仕事は増え、かつてよりも忙しくなった。時間が短縮された時間だけ働かねばならね。時間が短くなっても疲れは距離に比例するというから、かえって現代人のストレスはたまっている。

最新の電気器具やIT機器がそろった家が美しいだろうか。私は逆だと思う。長い間人間の手や目に触れ、生き残ったものほど美しい。自分にとって必要か必要でないかを決めるのは、自分自身の美学である。言葉を変えれば自分自身の生き方である。

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